ストレスフリーな人間関係

「いい人」があなたを「ダメな人」にする。自分を知ると人間関係が改善する理由。

terico.
terico.
突然ですが、あなたはどんな人ですか?
あなたのお母さんはどんな人ですか?
あなたが嫌いなあの人はどんな人ですか?

そう聞かれたら、どう答えますか?
聞かれたからには答えなければ。と、「私は○○な性格で…」と話したくなる気持ちはわかります。その反応はごく普通だし、日々何気ない会話の中でも他人に対する評価の話は、当たり前のように話題に上がることです。

ただ、今この記事を読んでいる間だけ少し、今答えたその答えって本当かな?と意識を切り替えてみてください。

そもそも”いい人”って本当に存在する?

「あの人って本当に優しいよね」
「彼って無愛想で感じ悪い」
「彼女は大人しくて引っ込み思案だ」

それって、本当でしょうか?

自分からの視点はいつでも一方向

あなたが答えたその人の特徴は、本当にその人自身を表した言葉になっていますか?

クライアント様
クライアント様
う〜ん…私からはそう見えているけどなぁ。

ですよね。それもわかります。笑
ただ、大事なのはその「私からは」という部分。
そう、人間は誰しも複雑なパーソナリティーを持っています。

しかも、それぞれがそれぞれの場面によってどんな一面をあなたに見せてくるかは、時間・環境・相手・シーンなどによってがらりと変わってくるんです。

大切なのは、目の前の現実を疑ってみること。

そんなこと言われなくても当たり前にわかってると思うかもしれないですね。
では、人に期待したり、幻滅したり、裏切られたと感じたりするのはなぜでしょう?相手はあなたを騙すつもりだった?

人は少なからず、自分から見える景色に妄信的になり自分がいる世界が「真実」だと感じがちです。けれど、現に目の前に存在する事象ですら、あなたにとってのリアルと、相手にとってのリアルは違うんです。

ストーリーを見る角度を変えれば、主役も悪役もひっくり返ります。
それぞれに生きている自分の世界があるんです。

あなたが見ているのはその中のたったの一場面。そのことを忘れると、現実世界は途端に複雑になります。いつだって世界はシンプル。

今見えているのは、私からの世界にすぎない。人は皆、例外なく多面体である。これだけです。まずこの意識を育てること。そうすることで、あなた自身の存在する世界の輪郭が、しっかり見えるようになってきます。


自分のことが一番わからない理由

自分の世界の輪郭。と言われても、人は自分のことが一番把握しにくいと言われています。
それはなぜか?

答えは簡単。あなたの複雑なパーソナリティー全てを知っているのは、あなた自身に他ならないからです。

調子の良い時の自分も、悪い時の自分も、本当は焦っている気弱な自分も、妙に自信満々で人前に出られる自分も……全てあなたには記憶として残っています。そして、それらの出方は全て「時と場合、そして相手による」なんです。

つまり矛盾がたくさん。
だから、私って○○な人。なんて言えるわけが無い。それが自分のことは客観的に見られない理由です。

「いい人」の存在が、私を「ダメな人」にする。

端的に他人のことを「いい人」「ダメな人」と判断しがちな人は、自分のことも端的に捉えようとしがちです。けれど、他人のパーソナル情報と自分のパーソナル情報では、知っていることのデータ量が雲泥の差。

誰かの一面だけを見て「あの人はいい人だ」と判断したとすると、自分がいい人であるのは至難の技になるわけです。なぜならば自分は自分の多面性を知っているから。ひとことで自分を「いい人」なんて言い切るのは難しいんです。

誰しもいい人でありダメな人である。そう捉えられないばかりに、自分が「ダメな人だ…」と悩む人を多く見てきました。「いい人」という生き物がこの世にいると妄信すると、もれなくあなたは対極の「ダメな人」になってしまいます。

そもそもこの世に「いい人」なんていない。逆に「ダメな人」もいない。
あなたが知っている「いい人」は、あなたにとって良いと思える行いを多く実践して見せてくれた人でしか無いのです。

人間関係の判断基準はこれしかない。

「いい人」がこの世に存在しないとなると、どうやって自分は人間関係を築いていったら良いのだろう?目の前のこの人は、今は良い一面を見せてくれるけれど、違う一面も持っていると思うと不安…。逆にすごく不快感を感じるこの人にも、必ず別の一面があって、だから今は不快だけれど我慢した方が良いのかな…?など。
これはうっかりすると人間不信に陥りかねませんし、器の小さい自分に幻滅もしかねません。実際私はそうでした…。笑

ではどう捉えるかというと、全ての人が多面体で、今お互いに見せている面もごく一面。それを心得た上で多面性の全てを知る必要は全く無く、今見せている一面同士が共感できたり心地よいと感じるのであれば、一緒にいれば良い。それだけのことです。

時に見せる面が変わるのならば、その時は距離感を調整すれば良いだけ。
一度仲良くなったら離れてはいけない、恋人ならば全てを受け入れなければいけない、そんなことは無いんです。
多面体が常に流動的に、ついたり離れたりを繰り返しながら水の中を漂っている。そんなイメージを持ちましょう。

つまり、人間関係の判断基準は、今の場面の自分にとって、心地よいかどうか。これだけです。
そのアンテナさえしっかりと磨いていけば、相手を「いい人? or ダメな人?」なんてジャッジする必要はなくなって、結果として自分が自分らしく在ることにも許可が出せるようになってきます。

それでも大切なのは「自分」を知ること。

じゃあそのアンテナを磨くためにまず何をしたら良いのかというと、やはり大切なのは「自分」を知ることです。おそらくその作業に終わりはありません。多面体の一面が解明できたとしても、別のシーンではまた他の一面が出てきます。

それでも自分を知らないことには、他のどの多面体(人)とどう共感しあえるのか、どんな距離感がベストなのかが分かりません。
どこまでも分かりきれない曖昧な感覚に許可を出しつつ、永遠に探求できる素晴らしい題材が「自分」なんです。

まとめ。

「自分のことがわからない。知りたい。」と強く思う人は、自分というものが何かの型にはまるような誤解をしているのかもしれません。逆に「自分は自分でしょ」と軽く捉えられる人は、考え方が柔軟で自分を良くわかっているのかもしれません。

いい人であろうともがく人にとって、本当の人格者は案外冷たく見えるものです。人格者と呼ばれるような人たちは、無用な執着や空気の読み合い、人の矛盾や流動性を感覚として認めている場合が多く、過去の関係からの馴れ合いなどに意味がないとわかっているからです。

それぞれがそれぞれに自分を把握して、お互いの領域に土足で踏み込まない、無用な長居はしない。実践するのはとても難しいですが、人間関係は一生かけて取り組む価値のある課題だなと私は感じています。

煩わしさもあるけれど、やっぱり人との関わりの中で生きていきたいですもんね。