今現在はどうかと言うと、人間大好き!ってほどにはならないけど、
他人に対する警戒心は薄れたし、多くはないけどこの人は好きだなぁという友人が何人もいます。
それもこれも、自分が何者で、本当に望んでいるのは何なのかを探って行った結果、いつのまにかこうなってたので、そのきっかけのお話しをできたらなと思います!
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友達がいないのには理由がある
友達いない族だった当時は、人間なんてめんどくさいし、大人になってから利害関係のない友達なんて出来ないし、つるみたくない!
って本気で思ってたつもりでした。
それが本心なら、別にそれでよかったわけですよ。
けどおそらく、本心から人との関わり持たなくていいや〜と思ってる人って、人間がめんどくさいとか、利害関係のない友達なんて出来っこないとか、そういうネガティブな感情をわざわざ感じないし口に出さないんですよね。
だったら人と関わらない道を選べばいいだけだし、孤独も感じないので、文句言う必要がない。笑
つまり、人間嫌い!友達なんていらないし!とわざわざ言ってる時点で、私は人に興味津々だったし、友達も欲しかったわけです。
それに気づいた時の恥ずかしさたるや…!
きっと参考になるので晒しますね。笑
過去の私の友達いないパターン1【鳥のヒナのような友達】
以前の私には、一定のパターンがありました。
それは、私のことを慕って鳥のヒナのように後ろをついてくる人ばかりと一緒にいて、自分が本当に仲良くしたいな、尊敬できるなと思う人とは距離を置く。というものです。
ちなみに当時はその自覚がありませんでした。
だって私は人との関わりを鬱陶しいと思っていたから、それでも私がいい!と後ろをついてくるなら拒否はしないだけだし、
相手が素敵な人だからって、わざわざ私から仲良くして欲しいなんて思いもしないわ!だって人間関係なんて面倒だもん!と思っていたんです。(頭では)
で、そのヒナのような友人とは、いつも同じパターンでさよならすることになるんです。
なにかでトラブルになって、私が遠慮なく言いたいことを言って向こうが去り、私は追わない。はい終了。というパターン。
なぜそうなるかは明確です。だって私は最初からその人のことを好きじゃないし、良いところを見ようとしていないから。
後をついてくるから「仕方なく」相手をしている…という、無自覚なマウンティング状態なんですよね。
それは必ず伝わりますから、相手がイラだってきて、そんな相手に対して私は「相手してやってんのに!」的な対応をします。(あぁ書いてて本当に最低すぎて恥ずかしい…)
そりゃあ関係は終わるわな…。といういつものパターンでした。
過去の私の友達いないパターン2【まぶしくて近づけない友達】
そんなことを繰り返しているうちに、ふと、孤独だな。と気づくわけです。
頭では面倒だと文句を言いつつ、腹の底では良い人間関係を築きたいという願望があるわけなので、一人になると孤独を感じます。
で、そんなときに「自分が本当に仲良くしたいな、尊敬できるなと思う人とは距離を置く。」というもう一つのパターンについて考えてみたんです。
私が仲良くしたいと思う人と距離を置くのは、なんのメリットがあるんだろう?
そこで出てきた自分の腹の底がまた衝撃的で…!!
- 私はあの人たちのレベルじゃないから入れな
- 彼らと付き合うには猫を被らないといけないから疲れる
- 私の本性がバレたらきっと馬鹿にされるだろう
- そもそも育ちが違うんだ。健康で愛されて育ってる人とは合わない
そこには被害妄想にまみれた「傷つきたくないから最初から近づかない」という気持ちが眠っていました。
高校時代に違和感がすごかった【友達】
ここでちょっと話は脱線するんですけど、私の高校時代の話をさせてください。
私は高校生の頃はゴリゴリのオタクでした。
もれなくイケてない女子高生で、彼氏なんて出来たこともなかったです。
だから、どの学年にも必ずいるギャルグループ(もれなくみんな可愛いグループ)とは無縁の暮らしを送っていました。
そんなギャルグループの中に、側から見ていて、いつも違和感があるなぁと思っていた女の子がいたんです。
彼女はお世辞にもギャル的な華やかなルックスではありませんでした。
それは生まれ持った容姿が…というだけではなく、髪型や制服の着こなしや、にじみ出る空気感など全てにおいてギャル的ではなかったんです。
どちらかというと、私側(オタク側)の人間だよなと誰しもが思っていたはずです。
けど彼女はいつもギャルグループの中でテンション高く大きな声でギャル達を笑わせていました。
ギャル達もそれを楽しんでいました。
側から見て違和感があっても、本人達にはそんなことないのかな?
何度もそう思おうとしました。だけど、やっぱり拭えない違和感…。
なぜならば、彼女のあだ名は【うんちょす】だったんです。
「思いっきり馬鹿にされてんじゃん。
身の丈に合わない背伸びをするから、変な扱いになるんだよ…。」
高校生当時の私は、そんな風に思ってましたね。
私に友達がいなかった本当の理由
で、話は戻って私のパターン。
つまり私は、うんちょすになりたくなかったんです。
必死でしがみついて身の丈の合わないグループで神経をすり減らしたくない。
側から見て「あの人浮いてるよね」と思われたくない。
かっこ悪いのも馬鹿にされるのも嫌だ。と。
だけどそれって、
あの人は素晴らしいから私と見合わなくて、あの人は大したことないから相手してあげる。って言ってるようなもんだよな…それって真実なんだろうか?
浮いてるってなんだろう?釣り合わないってなんだろう?たいしたことないってなんだろう???
全部、私の頭の中のヒエラルキーでしかないんじゃ……!?
でもって私は私をヒエラルキーの中の下層部に置いて、勝手にランクが上だとか下だとか決めては「人間関係ってめんどくさい!」って!!!( ゚д゚)
そりゃ友達できねーわ!!!(お前がめんどくさいって話だ)
友達がいないのは自分が発する無言の空気が原因
ちなみに、うんちょすはいじめられていたわけではないと思います。ギャル達はうんちょすを受け入れて、可愛がっていたと思います。
どちらかというと、おかしな不協和音を生み出していたのはうんちょすの方でした。
うんちょすと呼んで!と言い出したのは自分からだったそうです。
いつも大きな声で道化役に回っていたけれど、目が笑っていませんでした。
そしてうんちょすは、ギャルグループ以外には冷たくて、ほとんど口もききませんでした。
それは、うんちょすと呼ばせて、道化でもやらなきゃ自分はこの憧れのグループにはいられない!という必死感と、
とはいえ、クラスでイケてるギャルグループにいられる自分を誇示する態度に見えました。
ギャル&うんちょすに違和感があったのは、身の丈にあっていないからではなくて、うんちょす自身が自分を卑下しているのが滲み出ていたから。
そう、うんちょすもまた、自分の中のヒエラルキーの住人だったんです。
そしてそんなうんちょすになりたくないと思っていた私自身が、最もうんちょすと同類だったわけです。
友達がいない理由は相性よりも自分の在り方
カウンセリングでいただくお悩みの中に、ママ友なんて面倒だから仲良くしたくない。とか、会社の人間がバカばっかりだと思う。なんて話をよく聞きます。
そんな時は、ママ友をどうこうしようとか、会社なんて見捨ててしまえ!なんて話はせず、そう感じる自分にどんなスイッチが眠っているかを掘り起こします。
人間関係がうまくいかない、自分の周りに優しい人があまりいない、面倒だからいっそ孤独でいい。
そんな風に思う時は、まず自分がフラットでいられているかな?
だれかと闘っていないかな?と考えてみるのもおすすめです。(もちろん、それが原因ではない場合もあります)
気づかぬうちに、超巨大な脳内ヒエラルキーが出来上がってる可能性がありますよ!