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バイト先で知り合ったカワムカイという女の子
その子は大学生時代にバイト先で知り合った2歳年下の女の子、名前は川向(カワムカイ)。
純日本人だけど、中東の国の子供みたいな顔のエキゾチック美人だった。
少し色黒で、目がくりっとパッチリ二重で、誰が観てもキュートで整った美しい子。
だけどその見た目とは裏腹に、中身は誰よりもドライで「〜っす」「そーっすか?」「マジすか!」なんて男っぽい言葉使いだった。
男っぽいから色気もないのかと言うと、ふとしたところですごく優しかったり、ツボに入ると本当にケタケタ可愛らしく笑う子で、その二重三重のギャップにやられて言い寄る男の子も多かったと思う。(全員もれなく振られてたけど)
私もわりと女の子っぽくないというか、姉御肌な性格なもので、彼女とは気が合って、よく夏の海に2人で行ってはサーフィンして遊んだ。
そして2人ともナンパしてくる男にはまるで興味が無かった。
カワムカイのタトゥーが意味するところ
そんな川向が大学2年の時に、足の甲にタトゥーを入れた。
直径7センチくらい、グリーンのインクでメキシコの国旗からとったワシが描かれていた。
普段からタトゥーを入れたいと言い続けていたのは私だったのに、何も興味なさそうな彼女が突然目立つ場所にタトゥー。
なんで入れたの?どこで入れたの?痛くなかった?どうしてワシなの?誰かに反対されなかった?
散々聞きまくる私に川向はひと言
「メキシコ好きなんで入れただけっす。」
以上。
その潔さに痺れた。
なっちゃんのタトゥーの潔さ
話は変わって、今鎌倉でとても仲良くさせてもらっている7歳年下の女性がいる。
名前はなっちゃん。(かなり年下だが彼女も三十路。それなりのお年)
なっちゃんは、こっちが思わず目を逸らしてしまうほど、目力のあるこれまた美人。
そして彼女も川向と同じく「〜っす」「そーっすか?」「マジすか!」系の女子。
ストレートのボブヘアは常に金髪。手の指と足首にタトゥーが入っている。
そんななっちゃんにも私は、タトゥーを入れた心情やら時期やら意味やら散々聞いた。
そんな彼女からの答えはこれ。
「マジで意味ないんすよね。テキトーだから。聞かれるといつも困る。笑」
なるほど。やはり潔い。
リアルサバサバ女子orサバサバ女子モドキ
昔から私は、この種の女子が好きで、彼女たちも私を好いてくれる事が多い。
けれど、彼女達と私の間には大きな広い川が流れていると思っている。(多分向こうは思ってない)
その差は、リアルサバサバ女子と、サバサバ女子モドキ。
言わずもがな、私はサバサバ女子モドキで、受け応えはハッキリしているけれど、実はかなり慎重なところはあるし人の目は気になるし先々のことを考えがちだ。
だからこそ、リアルサバサバ女子の彼女達が眩しい。
で、話はタトゥーに戻る。
リアルサバサバ女子な彼女達は、タトゥーに意味なんて考えても無ければ、ましてや他人からの評価なんてどこふく風だ。
私もさらっと意味もなく「入れたいから」のひと言でタトゥーを入れてみたい。
けれどすでに何年も思案し続けている時点で時すでに遅し…。
いったい彼女達と私の違いはなんなんだろう?ずっと不思議だった。
そして過去の私はその違いを、おそらく「強さ」なんだろうと推察していて、強さの秘密を知りたかったし、憧れていたと思う。
けれど後々になって、私が感じていた「強さ」は想像していたのとは少々異なると気付いた出来事がある。
スマホケースを装着する意味を考えたことがあるか
あれはスマホが世に出たばかりの頃だったと思う。
私はアンドロイドのスマホにケースを付けていて、スマホを買ったらそれと同時にスマホ売り場でケースを買うのは普通だと思っていた。
実際当時は、着せ替え不可能な折りたたみ式の携帯から、自分好みのケースをつけられるスマホに変わって、みんな“ケースつけたがり”だったし、最新のスマホに傷がつくのが嫌だから“ケースはつけるもんだ”みたいな空気もあった。
そんな中、川向のスマホはいつも裸の状態だった。
だから何の迷いもなく私は「なんでケース付けないの?」と聞いた。
するとすかさず「逆になんでケースつけてるんすか?」と聞き返された。
「だって傷ついちゃうじゃん」と答えると
「傷ついてからそれ隠すためにケースつけりゃ良くないすか?」と。
なぜか、この一言に頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。
そして変に納得した。
そもそもケースなんて無くてもいいようにデザインされてるわけだし、様々あるデザインの中から好きなものを選んでいるのに、買ったと同時にそれを覆い隠すケースをつけるってちょっと滑稽だ。
ある程度使ってからケースを外すならまだしも、ずっとつけ続けて本体は無傷のまま、だけど時代に取り残されたソレは綺麗なまま役目を終えるのだ。
当時はiPhoneがそこまで普及していなかったので、画面が割れるからケースに入れるという概念も無かったし、ケースがマスト、付けて当たり前ってよく良く考えたら変な話…。
そして、そのスマホケース理論(大袈裟)から、川向の強さの秘密を知った気がした。
常時スマホケース装着中の人生
それまで、川向は強靭なんだと思っていた。
自分のやりたい事をやる勇気があるし、周囲の目とか分かってるけど跳ね除けてるんだと勝手に解釈していた。
だけど違った。
川向は強いけど、強さの種類が違う。
何かに反発する強さを持っているんじゃ無くて、そもそも起こるかわからない不確定なものを無視して、実際に起こってから対処するというしなやかな強さを持っていた。
ちなみに、そのしなやかな強さはとてもとても良く言った場合で、言い方を変えると川向もなっちゃんも「なんも考えていない」というのが正しいのかもしれない。
起こるかわかんないこと考えてもしょーがなく無いすか?
タトゥーを見て誰がどう思ってるかわかんないし、心配してもしょーがなく無いすか?
なんか起きたらその時考えりゃ良く無いすか?
このスタンスなのだ。
けれどそんな2人を見て、私は勝手にこう思わされる。
私の人生は基本的にスマホケース常時装着の状態。
いつ傷が付くかもしれないという不確定な出来事に怯えて、わざわざ出費して安く無いケースを買い、せっかくの素晴らしい本体を覆い隠している状態なんだな。と。
まぁ、これを川向となっちゃんに伝えたならば、確実に返ってくる答えは
テリさん考えすぎっす。
だと思う。
それでも、そう感じざるを得ないくらい、彼女達は自由で強く、悩まない。
タトゥとスマホケースから学ぶ、悩まない人生とは
カウンセリングをしていると、程度の差はあれ頑丈なスマホケースをつけている人はめちゃめちゃ多い。(心の話ね)
そのせいでスマホが重くなってたり、ダサくなってたり、操作しづらくなってたりするけど、それでも傷ついたらそん時対処すりゃいーじゃん。と気付いて傷を受け入れられる人は少ない。
いつも悩みがちな人々に伝えたい。
悩みの少ない人は往々にして強いんじゃ無い場合が多い。
実は考えてないだけなんだ!
これ、意外と真実。
だってこの間なっちゃんに「なっちゃん悩むことないの?」って聞いたら、「ありますけど、1時間くらい悩むと、ウケる!超私悩んでんじゃん!ておかしくなっちゃうんですよね。」って言ってたもん。
はたして人間は、
何かがあるから悩むのか
悩みたいから何かを探すのか…。
悩むのってアホらしいな。
スマホのケース捨てよ。
彼女らを見ていると何度でもそう思わされるのだ。